二王座は、阿蘇山の火山灰が固まってできた凝灰岩の丘で、あちこちの岩を削り取って道を通しました。 特に、旧真光寺の前は「切り通し」と呼ばれる、臼杵を代表する景観のひとつです。
辻から入ると上級の武家屋敷が立ち並び、田町側から登っていくと、多くの寺が集まっています。 この地域に、かって春日局もすんでいたとか、二王座は、昔日の名残を今もとどめています。
平安時代から鎌倉時代に至る長い年月をかけて造営された「臼杵石仏」はひたむきな信仰のあかしを今も岩肌に残しており、 規模や数量、彫刻の質の高さにおいて日本を代表する石仏群です。 その中心である古園石仏群の大日如来像は、仏頭は昔日の姿に復位され、平成六年三月、保存修理が完了、平成七年六月、臼杵石仏は磨崖仏では全国初の国宝に指定されました。
旧城下の入口に立つ、臼杵の象徴。 聖徳太子をまつるこの塔は、九州に二つしかない江戸期の木造三重塔のひとつ。 匠の遊び心か、塔の軒下を四カ所、ユーモラスな表情をした天邪鬼(あまのじゃく)が支えています。
書院造りの奥座敷や、謁見の間の表座敷など、和の心づかいを随所に感じる格式高い屋敷。内部には戦に使われた武具や、昔のお姫様が乗った豪華な駕篭など、稲葉家五万石の品々を展示しています。 部屋ごとに違った趣を演出する、広々とした日本庭園も魅力的です。
野上弥生子(1885〜1985)は、九十九歳でこの世を去るまで数多くの文学作品を世に残し、文化勲章を受章しました。 現在は生家の一部が、記念館として一般に公開されています。 未発表の「明暗」に対する漱石の手紙や、絶筆となった「森」の原稿など、幼女の頃から亡くなるまでの遺品約二百点が野上弥生子の世界を物語ります。
大正15年(1926年)地元・泊地区の青年団に発見され、2年後には天然記念物に指定されました。奥行き500mの閉塞型の鍾乳洞であるため外気の進入が少なく、風化することなく純白に近い光沢を放ち続けています。 洞内最大の石筍・競秀峰は高さが10m、周囲16mにも及び見ごたえ充分です。 洞内の奥の1500 ・の広場・竜宮城にあります。
県下三大祇園祭りの一つと言われている八坂神社の祇園祭り、寛永二十年(一六四三)藩主稲葉信通のときに、御神幸を行ったのが始まりと言われています。 だんじり囃子も賑やかに、熱気をおびた山車が町を駆け抜ける勇ましさ。 神輿の下を通ると、無病息災が得られるとか。
(大分県指定無形民俗文化財)
(毎年7月中旬〜下旬に開催)
晩秋の夜、一万五千本もの竹ぼんぼりが石畳の道に沿って灯されます。 いにしえの音楽が奏でられる中、旧い町並みが竹ぼんぼりに照らし出され、あなたを幻想の世界へと誘います。
(毎年11月第一土曜、日曜に開催)
数々の歴史を刻んだ臼杵城跡の春は、約千本の桜に包まれます。 夜になるとぼんぼりに灯かりがともされ、夜桜の幻想的な美しさが浮かび上がる、県下屈指の桜の名所です。
吉四六さんの菩提寺でも知られる普現寺境内には200本近くのもみじがあり赤と黄色のじゅうたんが古刹を彩ります。 11月にはライトアップされ幻想的な雰囲気を漂わせます。





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